新型コロナウィルスによる政府の自粛要請に基づいて、さまざまな「不要不急」のイベントが中止になっています。
音楽や映画、演劇のような、人に集まってもらうことで初めて成立する業種はもちろん、イベントでの販売で生計を立てている人にも厳しい状況が続いています。
「自粛を要請」という表現の「強制ではないので、判断はそちらに任せる」という対応には、社会的混乱に対する責任を忌避する政府の姿勢が透けていて、悲しい気持ちになります。私が日々税金を払っているのは、こういう時に政府が専門家の意見を聞いてしっかりした対応をしてくれることを望んでのことなのですが、一斉休校や渡航制限を専門家会議に相談せずに決行したというニュースも流れてきますし……。
さて、言うまでもなくplesheで紹介しているイベントや作品の多くは、不要不急のものです。
ハンドメイドイベントで扱われる商品の多くは、機能だけ見れば100円均一やユニクロ、GUで代替できるものです。
かっこいいシルエットの皮のバッグも、丁寧な手芸で作られた服も、小さなモチーフをセンス良く組み合わせたアクセサリーも、すべて機能的には不要なものです。
それでも、私たちはケーキに金色の飴細工がかかっていると、その華やかさにときめいてしまうし、美しくて品質の良い服を身体に通すと、何とも言えず気持ちが明るくなってしまいます。
私たちは日常生活の中で、仕事をしながら「意味のあること」「価値のあること」つまり「お金になること」(有用性)をジャッジし、目の前の出来事ひとつひとつに順位をつけ、それをできるだけ早く処理するように迫られています。
できるだけ効率よくお金になること行うことが仕事の価値であり、そうした価値判断の中で毎日生きていかざるを得ない。
ですが、そうした生き方を続けることで、私たちの日常にはきしみが生まれています。もし、あなたが毎日を価値や意味のあることに捧げることに抵抗がなくても、身体を壊して仕事ができなくなれば、有用性の流れの中で生きることもできなくなってしまうでしょう。価値のあるなし(その多くはお金が儲けられるか否か)だけしか判断基準のない世界で生きるというのは、少しでも価値がないと判断されたものをどんどん切り捨てていく世界で生きることなのです。
私たちが「不要不急」と呼ばれる、一見価値のないことを愛しているのは、せわしなく残酷な日常の中で、それこそが自分たちをゆるやかで明るい流れの中に戻してくれるものだから。
世界に「不要不急」すら存在しなくなってしまえば、それはもう人が生きるに値しない世界でしょう。
「不要不急」を愛し、活かし続けるために、これからひとりひとりが考えなくてはいけない時なのだと思います。
週末、遊ぶ予定のなくなってしまった人、久々にゆっくり自分たちにとって大切なものは何か考えてみてはいかがでしょうか。